1.1 評価が上がった点:音楽的に面白い曲は多かった やはり画面なしで曲だけ聞いていると、思った以上に面白い曲が散りばめられている事がよくわかります。 例えば、「witch World #1」。劇場では派手な映像に目を引かれがちで気づきにくいのですが、実はごく普通のABAのクラシカルな弦楽四重奏だと思わせておきながら、2回目のAに大量の不協和音を入れることによって「予想外」の曲調を作り出しているわけですね。そして、やがて3度目のAにて不協和音は協和音に解決し、徐々に追加されたパーカッションと共に曲を終える。シンプルながらも面白い構成となっています。 さらに印象的だったのは「wo ist die kase?」。シャルロッテ戦で使われた曲ですが、低音のオスティナートが鳴り続けている中、子供の声のコーラスがまるで労働歌のように「wo ist die kase?」(チーズはどこだ?)とひたすら歌い続ける。うまい具合に不気味な雰囲気を演出できています。ただ、どうせ労働歌の形式をとるなら、労働歌でよくあるコールアンドレスポンスなどの技法を使えば、もっと面白くなっていたと思いますね。 他にも、5拍子から3拍子に変わるという変則的なリズムをとった「she is a witch」、頻繁に転調しながらも自然で美しい「I miss you」など、音楽的に工夫がされた曲がいくつかありました。 これらは劇場で映像を見ながらだと、なかなか気づけなかった点でしたね。
1.2 評価が下がった点:instrumentationにおいての単調さ 音楽的には面白い曲が多かった一方、instrumentation(日本語だと「楽器法」ですがちょっとニュアンスが違ってしまうので英語で。要するに「作曲においての楽器の使い方と組み合わせ」の話だと思ってください)においてはとても変化に乏しい印象を受けました。一応劇場の感想記事でも書いた事なんですが、ほとんどの曲が典型的な西洋音楽のinstrumentationなんですよね。具体的に言うと、ストリングスによるメロディーor伴奏を主軸とした曲しかない。 例えば、TV版のBGM「Sis puella magica!」のアレンジである「fateful #1~4」。4つもバージョンがあるにも関わらず、そのうち3つがストリングスでメインメロディを弾きなおしているだけという。いちおうテンポを変えたりメロディの音符数個をずらしていたりしますが、それでもどれも同じ曲に聞こえてしまいます。 また新曲である「encounter」や「odd world #3」なども、基本的にはストリングスによるメロディに重いパーカッションを加えているだけ。曲調が違うように聞こえる「short aetion」や「a human bullet」も、リズムこそはエレキギターやエレキベースなどロックな楽器を使っていても、主軸となるメロディは結局バイオリン任せになっています。 なので、OST全体を通して、instrumentationのバラエティが乏しく、楽器や音色の種類がすごく限定的で単調という印象を受けてしまいます。 実際、劇場版OSTでは37曲中25曲(約7割)がストリングス主軸なんですよね。これでは変化が乏しいと思わざるを得ません。
「ストリングスは普遍的なinstrumentationなんだからよく使われて当たり前じゃないか」と言われればそうなんですが、実際TV版のOSTを聞いてみるとそうとは限らないのです。 例えば、TV版の次回予告や10話のほむら特訓シーンに使われた「Salve, terrae magicae」は楽器的にも和音的にも西欧のケルト音楽の要素を取り入れています。アイリッシュフルートやリュートなど民族的な楽器で特徴的な雰囲気を作り出しているんですね。「Decretum」もそうです。他にもポリリズミックな「Agmen Clientum」、エレクトロニックで多彩な音色を使う「Pugna cum maga」、ザンプルを多用した「Incertus」など。要するに典型的な西洋音楽の楽器だけでなく、様々な世界音楽や現代音楽の楽器を駆使しているんですね。そこが劇場版OSTとの大きな違い。 ちなみにTV版OSTではストリングス主軸の曲は38曲中17曲(約4割)です。劇場版OSTの37曲中25曲(約7割)よりは全然少ないですね。
2.1 各キャラクターやエピソードが本来の役割から外れてしまう 「魔法少女まどか☆マギカ」という作品では、メインキャラの5人は誰も等しく重要なのですが、それでも物語上ではそれぞれ違う「役割」を持っているのですよね。例えばマミさんは魔法少女の表面的なシステムをまどか達や視聴者に伝える役割、そしてほむらは序盤のミステリー要素、など。ただ、劇場版での「大きすぎる」BGMの使い方は、キャラクター達を本来の「役割」から外れさせてしまうんですよね。 その問題が一番顕著なのはさやかの魔女化シーン。魔法少女はやがて魔女になり、振り撒いた希望の分だけ呪いを撒き散らすという残酷な真実がわかるシーンですね。TV版では物静かに唸るような曲「Decretum」が流れたのに対し、劇場版ではまるで悲鳴のように歌う女性の歌声が絶望感を誘う壮大な曲「she is a witch」が流れました。これによって絶望感は増大したのですが、結果的にさやかの物語上の「役割」に反してしまった、と僕は思います。 何故かというと、さやかの物語上の「役割」はあくまでも「魔法少女システムの秘密が暴かれるキッカケとなる事」。酷な言い方になりますが、僕達視聴者すら絶望するほど悲惨な彼女のエピソードは、あくまでも一般的な魔法少女サイクルを再現したものにすぎなかったわけです。言い方を変えれば、「普通の事」だったんです。それ故に、このシーンは「残酷」でありながらも「悲壮」であってはいけなかった。 では、どういう演出であるべきだったのか? それは正にさやかのモチーフになっている「人魚姫」のように、憧れの王子様(恭介)どころか誰にも知られる事無く、儚く退場していくような凄然とした感覚。 なので、「she is a witch」のような悲壮な音楽ではなく、TV版の「Decretum」のように、孤独で、凄切で、儚くも美しいような曲であるべきだと、僕は考えます。